こんにちは、心理カウンセラーの乾です。
本日は藤子・F・不二雄さんの『ドラえもん』の中の1つのお話し、[ファンタグラス]から僕の感じたことを書かせていただきます。
最初にお話しの内容を記載しておりますので、ネタバレが嫌いな方は続きを読まれないように気を付けてください!(;'∀')
ファンタグラスは眼鏡の形状をした道具で、これを装着して動物や植物を見ると、童話やファンタジーのように擬人化された姿に見え、その対象物の声も聞こえるようになるのです!
イメージしやすいように画像も載せておきますね!
テレレレッテレ~♪
ドラえもんの声が聞こえてきそうですね~。笑
あ、ちなみに左側から伸びているコードはイヤホンの役割で、これを耳に付けると声が聞こえてくるという仕組みになっています。
タンポポを簡単に捨てようとしたのび太に、ドラえもんがファンタグラスを渡します。
それをかけたのび太には、捨てられようとしていることに涙しているタンポポが映り、庭に植えてあげるのです(ちなみに1度隅っこに植えようとしますが、タンポポが「もっと陽の当たるとこにして」と要求する小ネタにクスッときます)。
するとタンポポはのび太に感謝を告げ、その様子を見ていた周りの木や花ものび太に色々苦情や要求を伝え、のび太は断れずに・・・・という形でストーリーが進んでいくのですが、最後は感動で心がほっこりします(*'▽')✨
さて、これだけでも十分に面白いお話なのですが、実はこのお話しもっともっと奥の深い設定が入っています。
それは、
“動植物の表情や言葉は、グラスの使用者の潜在意識が反映されているだけ”
だということ。
この設定が追加されただけで、読み込み具合がずっと深くなります!
つまり「色んな動植物の苦情や要求」は、のび太自身が根本的に優しい性格であるが故に聞こえてきたモノだということです。
繰り返しますが、彼らの表情や言葉は“事実”ではなく、のび太にはそう見えている、そう聞こえているだけなんです。
すっごく雑に言い換えます!
のび太の思い込みです!!!('Д')ファー!イッチャッタヨー
このお話しは一言で言えば、「のび太の思い込みによって進むストーリー」なのです。
最初のタンポポをジャイアン、スネ夫、しずかちゃんがファンタグラスをかけて見たとしたら、展開は変わっていたかもしれないのです(まぁ、ドラえもんの道具ほぼすべてに言えることですが。笑)。
なるほど!
同じものでも、人によって捉え方が違うのかぁ~・・・・。
あれっ!?
あれれれっ!?
あれれれっれれー!?(笑)
これって、まんま僕たちの思考で置き換えられませんか?
「コップ半分の水」のお話しご存じでしょうか?
ある人は『まだ半分もある』と思い、ある人は『もう半分しかない』と思う。
喉が潤っている時は『まだ半分もある』と思い、ある人は『もう半分しかない』と思う。
人によって、また自分のその時の状況によって、同じことを経験しても違う捉え方をしてしまう。
☆自分と遊んでいる友達があくびをしているのを見ちゃったら、
『自分といるのは退屈なのかなぁ~』と思いますか?
『自分に気を許してくれているのかな』と思いますか?
☆行くとこ行くとこお店が臨時休業していたとしたら、
『つくづく自分が運がないな~』と思いますか?
『こんなに続くのって逆にすごいな!』と思いますか?
☆苦手に感じている人がやたら話しかけてきとしたら、
『何か裏があるんじゃないか・・・』と思いますか?
『仲良くしようとしてくれてるのかなぁ』と思いますか?
最初の捉え方が変われば、その先のストーリーは当然変わっていきます。
無理にプラスに捉える必要もありません。その事実に対してどのような気持ちが湧いてもいいんです。
ただ、その気持ちから新たなストーリーを創り上げてしまうことはちょっぴり危険なときがあるということなのです。
“不幸なしか起こらない”
“何1ついい事なんてない”
“誰からも必要とされていない”
そんなふうに自分の人生を否定的・悲観的に思えてしまったら、
“辛い”という気持ちはしっかり感じた上で、『でもここから先は、自分が勝手に事実を作りあげているのかも?』と色眼鏡を外してみてください。
それだけでも心はずっと軽くなります。
ドラえもんの話しをいくつも読むと、一瞬で思いを満たしてくれる道具は【生活は豊かになるが、心はそれに比例しない】ということを気付かせてくれているような気がします。
ということで、なんだかいい感じに締めくくれそうなので(笑)、今日はこの辺にしておきます!
ドラえもん先生ありがとうございました!m(_ _)m
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ブログを読んで疑問に思ったことや感想などありましたら
コメントいただけると嬉しいです。
では、また次のブログでお会いしましょう(^^)ノシ
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