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7829杯目のコーヒー


部屋いっぱいに広がる優雅な香りは


自分の持つこのカップから放たれている。


何ら変わり映えのない日常


安物のマグカップ


どこのスーパーにでも売っているドリップコーヒー。


揃っているのはこんな平凡なキャストであるにも関わらず


息も心もすごく弾んでいる。


次に淹れるコーヒーへの期待に


胸は高鳴っていた。


「あなたはこれまで何杯のコーヒーを飲んできたか?」


そう聞かれて答えられる人はまずいないだろう。


しかし私は即答できる。


今から飲むこのコーヒーは7829杯目だ。


どんな人にでも少し変わった癖や趣味嗜好の


一つや二つはあるだろう。


人間性を否定されるほどのものではなく


だからといってわざわざ話す必要もない


そんな自己完結しているものが。


『自分の飲んだコーヒーをカウントする』


これが私にとってのそれなのだ。


「カフェモカやカフェラテはコーヒーに入りますか?」


なんて野暮な質問には今は答えたくない。


そんなヘンテコな習慣は


大学1年生の時に本屋で偶然目に留まった


一冊の雑誌から始まった。


その中にあった見開き1ページのワンコーナー


『1000杯目からが大人の時間』。


オシャレな髭を生やしたダンディなおじさんが


コーヒーの歴史やうんちくを


ただただ満足げに語っていた。


『コーヒーを語るのは最低でも1000杯は飲んでからだ!』


とそう言わんばかりに。


その内容に感銘を受けたわけでも


触発されたわけでもなかったが


時間を持て余していた大学生を


挑発するには十分だった。


はじめは苦味やコクの良さなんて微塵もわからず


“カッコつけたい時に飲む飲み物”なのだと


本気でそう思っていた。


しかし1杯また1杯と増えていくにつれ


コーヒーがただの黒い飲み物ではないことを


全身で感じられるようになっていった。


そしてそれと同時に


色んな感情を抱くようになっていった。


40杯目手前には


香りのいいコーヒーを立ててくれる


喫茶店のマスターに感謝したくなり


50杯目の途中には


もっともっと数を増やしていって


この飲み物の味わい深さを探求したい気持ちになった。


さらに90杯目に差し掛かる頃には


誰かを抱擁し共感し合いたくなる


そんな衝動に襲われた。


そしてその後も様々な感情が


心の器に1滴また1滴と


波を起こすように落ちていった。


100杯を超えたときは


ちょうど年の暮れで


物思いに耽けていたし


310杯目当たりでは


財布を無くしかけて


味わうどころではなかったこともあった。


830杯目を過ぎた時には


体調を崩し健康の大事さを


改めて思い知らされ


体にいいものを摂るように心がけた。


1410杯を少し過ぎたころ


いよいよコーヒーを語れる経験は


積んだものだと自負し


2830杯目前には


何が面白かったのか


ずっとニヤニヤが止まらなかった。


4125杯目のあとは


人生の中で一番


気持ちの良い風呂に入れて


身体も心も芯から温まった気がした。


これまでのそんな苦くも香ばしい思い出を


このコーヒーと一緒に


喉の奥へと今流し込んだ。


…21年前に小馬鹿にしていた


ダンディなおじさんよりも


はるかに浅く薄っぺらいことを


嬉々と語っている自分が可笑しくなってきた。


語る権利はあるのだろうが


語る知識や教養はなかった。


もう何も心配することはない。


次のコーヒーを淹れている私は


妙にスッキリしていた。


『この習慣はあとどれだけ続くのか?』


そんな野暮な質問は今は問いかけたくない。


ただただ満足げに


注がれていくこのコーヒーの


香りにふさわしくはないから。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

では、また次のブログでお会いしましょう(^^)ノシ

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