僕たちの心はいつだって
バランスを保とうとしている。
ちょうどで釣り合う位置を探している。
公園にあるアノ遊具のように。
『これまでの努力が報われなかった』
ギッタン。
『少し手伝っただけですごく感謝された』
バッコン。
『昨日は理不尽なことで怒られた』
ギッタン。
『自分だけ色々サービスしてもらえた』
バッコン。
『急に悲しくなって涙が溢れてきた』
ギッタン。
『くだらないことでツボって笑いが止まらなかった』
バッコン。
ギッタンバッコン。
嫌なことだけじゃなくて
それなりにいいこともあるけれど
心のシーソーは
ちょうどいい位置には止まってくれない。
ギッタンバッコン。
ギッタンバッコン。
ギッタンバッコン。
忙しなく行き来する心の声に
疲れてしまう時もある。
『ハッピーなこともなくていいから
アンハッピーなことも起こらないで欲しい』
そんなことを考えたりもする。
でも
釣り合ったままのシーソーは
どこか味気ない。
最初はその穏やかさが心地よいだろうけど
それだけだと
無味乾燥な日々になってしまう気がする。
そして何より
ギッタンとバッコンの間に
わずかかもしれないが
釣り合う瞬間は訪れる。
その瞬間は1回1回は長くないけれど
だからこそ釣り合った時の穏やかさが
大事だと思える。
愛おしいと思える。
大切にしたいと思える。
心のシーソーに乗っているのは
どちらも他ならぬ自分自身。
釣り合えるタイミングは必ずやってくる。
どちらに傾いた時も
地面に着いているその足を
優しく踏み込めば。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
では、また次のブログでお会いしましょう(^^)ノシ
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