どうも。心理カウンセラーの乾です。
珍しく、前回からの更新が早いです!笑
今回はタイトルにある通り、「思いやり」と「重い槍」の違いについて
話していきたいと思います。
・・・はい。分かっていますよ。笑
発音以外全然違うじゃないかというご指摘!!
一方は、「心」で一方は「武器」ですからね・・・。
しかし、この両者は発音が似ているだけでなく、実は表裏一体な関係なのです!
今日はそんなお話です。
さてみなさん、普段電車に乗ったりしますか?
通勤や通学で使う方も、休みの日に出掛ける為に利用される方もいらっしゃることでしょう。
僕は田舎に住んでいますし、車があるのでなかなか電車は使わないのですが、、、。
例えば、電車に乗っている自分を想像してみてください。
あなたは、シート(優先座席ではない)に座っています。
目の前にはおばあさんが立っています。
こんな状況の時あなたは、あばあさんに席を譲ってあげますか?
それとも見て見ぬふりをしますか?
おそらくこんな質問をすれば、多くの人は前者を選択するでしょう。
そしてサッと譲れたあなたは『思いやり』をお持ちの方だと思います。
しかし、そのおばあさんが「ありがとう」の一言も無しに、当たり前のような顔で譲ってもらった席に座ってしまったらどうでしょうか?
もしかしたら、ムッとするかもしれませんし、『譲らなきゃ良かった』とさえ思うかもしれません。
そこまで思わないにしても、大体の人はいい気はしないものです。
もちろん好意で譲った訳ですから、「ありがとう。」がないことに対して不満を抱くのはおかしいのです。
しかしそんなことも分かった上でも私たちは人間ですから、やっぱり「ありがとう。」の一言くらいは貰えないと悲しいもの。
要求しているものはホントに小さいものなのですが、そんな小さなものがないだけで人は満たされなかったりするものなのです。
ただ、この瞬間!
あなたが持っていた多くの人を救うかもしれない【思いやり】という盾は、たちまち『手を差し伸べてあげたのに』、という無意識的な見返りの要求により、色んな人を攻撃してしまう【重い槍】という矛へと形を変えてしまいます。
【思いやり】を作っている感情が「優しさや慈しみ」であるなら、
【重い槍】を作っている感情は「怒りや憎しみ」でしょう。
見て分かる通り、正反対の感情を持って作られている盾と矛ですが
両者が入れ替わるのは、ほんの一瞬なのです。
そして、感謝を示してくれなかった人以外をも攻撃し、傷つけようとします。
それは、他ならぬ自分自身です。
『席を譲ってあげたのに、「ありがとう。」の一言もないのはおかしい!』
『親切にしてもらったら、感謝するのが人として当然の行いだ!』
確かに、それは間違っていないのかもしれません。
ただし、そう思ってしまったあなたは、結果的に「ありがとう。」の見返りを貰えないどころか、思いやりの気持ちも少し失ってしまうことになります。
重い槍は、自分と相手を同時に貶(おとし)めてしまう、そんな危険な武器なのです。
しかし、冷静に考えてみましょう。
席を譲ってあげたおばあさんが全く感謝せずに席に座ってしまったとしても、周りにいる人はあなたに敬意を払うでしょう。
あなたの「思いやり」はそれを向けられた(おばあさん)以外の人(電車の周りの人)にも伝わっているということ。
それはつまり、向けられた相手が受け取らなかった思いやりは、他の人がちゃんと拾い上げているということなのです。
仮に、周りに誰もいない場所で親切をしてあげた場合だって一緒です。
その「思いやり」による行為を‘あなた’自身が一番近くで観ているはずです。
手を差し伸べてあげた人が無反応であったなら、その思いやりを自ら拾い上げて
次に親切をする人の為に大切にとっておきましょう。
重い槍は大変でしょうが、思いやりなら抱えておくことはきっと難しくないと思いますから。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
文章を書ききった後、声に出して読んでみたら「おもいやり」だらけで頭がぐちゃぐちゃになりました。笑
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では、また次のブログでお会いしましょう(^^)ノシ