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直径24センチの自由


人は自由を求めるとき


空に向かって思いっきり手を伸ばす。


なぜなら空には


端っこという概念はなく


どこに居ても同じものを仰ぐことができ


全ての生き物に同じ希望を見せる力がある。


そして何より誰のものではなく誰のものでもあるからだ。


あるとき一人の若者が


この自由の象徴ともいえる“空”を独り占めしたいと考えた。


みんなと同じ空を見上げるのではなく


『自分だけの“空”を手に入れたい』と本気で思った。


勿論お金を出して買い占めることもできなければ


自分以外に見せないよう隠すこともできない。


最初はスマホの写真に空を収めれば


その瞬間の空を今後見れるのは自分だけだと心が躍ったが


実際にそうしてみると虚しい気持ちになった。


この機器で捕えた“空”は生きていない。


いつ見てもどこで見ても全く同じ表情をしている。


開店から閉店まで同じ対応を繰り返すことのできる


人型ロボットのそれを見ているような気分になった。


その後も動画で撮影してみたり


オリジナルの空の絵を描いてみたり


果てには股の間から覗いて逆さまに空を眺めてみたりと


自分でも何がしたいのか分からない始末。


どんな頑張り方をしても手に入るのはいつも虚しさだけで


ついにはその感情が欲望を上回り


自分だけの自由を手に入れることをやめることにした。


それから3か月ほどが経ったある日の朝。


カーテンを開けてみると


くすみのないスカイブルーの空に


輪郭のハッキリとした雲がいくつもいくつも浮かんでいた。


どこまでも自由な空に


どこまでも純粋な雲が漂っていた。


それはスマホのアルバムに眠っている“空”よりも


はるかに美しくて居ても立っても居られなくなった。


心と足が進むままに散歩をしていると


団地の駐車場で女の子がバケツとにらめっこをしているのが見えた。


時折上を向いてはバケツを動かし


ああでもないこうでもないを繰り返していた。


何をしているのか尋ねてみると


「わたしだけの空を探しているの!」と答えた。


そのバケツには水が張っていて


そこに空と雲が円形に切り取られて映っていた。


『あぁこの子も欲張り屋さんなんだなぁ~』と


3か月前の自分と重ねて少し面白くなり


いじわるな気持ち半分に


「僕もその空を見てもいい?」と聞いてみた。


すると


「いいよ。」と返事が返ってきた。


どんな反応をするのかを予想する間もない位の即答に


思わず「なんで?」と聞いてしまった。


女の子が不思議そうにこっちを見てきたので


「君だけの空なのにどうして僕も見ていいの?」


と丁寧に聞き直すと


「だって見ている人が違うもの」とそう答え


僕の足の近くまでバケツを運んでくれた。


「空が手の届くところにあるよ!すごいよねっ!?」


今日の空と同じくらい澄み切った少女の笑顔に


なんだかとても恥ずかしくなり


その気持ちを隠すように


バケツの中の“自由”をそっと覗き込んだ。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

では、また次のブログでお会いしましょう(^^)ノシ

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