劣等生の優越感
友達より成績が劣っている。
同僚より仕事が遅い。
兄弟より出来が悪い。
姉妹よりも気が遣えない。
しかし、そのことを悔む必要は全くない。
なぜなら――
劣っている者にしか見えない景色が、この世には確かに存在するからだ。
成績が良い人間は、正解へ最短距離で辿り着く。
仕事が早い人間は、迷わず要点を掴む。
出来の良い兄弟や姉妹は、自然と期待され、自然と応える。
それはそれで立派だし、誇るべき才能だろう。
一方で、劣等生はどうか。
間違える。
遠回りをする。
何度も同じところで立ち止まり、「自分はなぜできないのか」を考え続ける。
この“考え続ける時間”こそが、劣等生の財産だ。
劣等生は、最初から世界を信じていない。
「自分はきっと正しい」などという傲慢さを持たない。
だからこそ、疑い、観察し、拾い上げる。
優等生が見落とす小さな違和感。
出来る人が無意識に切り捨てる感情。
「それ、誰のための正解なんだろう?」という問い。
劣等生は、それを拾ってしまう。
ある日、職場でトラブルが起きた。
誰もが「原因はここだ」と即座に断定し、修正案を出す。
会議はテンポ良く進み、正解らしきものが整っていく。
その中で、発言できずに黙っていたのが、
仕事が遅く、評価も低い、いつもの“あの人”だった。
会議の終盤、上司がふと聞いた。
「何か気になること、ある?」
彼は少し困った顔で言った。
「たぶん、全然的外れかもしれませんけど……」
そう前置きしてから、誰も気に留めなかった一つの前提を、ぽつりと疑った。
結果、その一言が、すべてをひっくり返した。
優秀な人たちは、早く正解に辿り着ける。
だが、正解の前提を疑うことは、あまり得意ではない。
劣等生は違う。
正解に辿り着けないからこそ、
「そもそも正解って何だろう」と考え続けている。
だから、世界の“ほころび”に気づく。
人生も同じだ。
出来が悪い人間は、早く成功しない。
人より遅れ、人より迷い、人より多く失敗する。
その代わり、
「何が自分を壊すのか」
「何が自分を救うのか」を、骨の髄まで知っている。
これは、才能だ。
しかもこの才能は、
競争に勝った者には決して手に入らない。
劣等生は、負け続けた末に、“勝たなくてもいい場所”を見つける。
他人と比べなくてもいい場所。
誰かの期待に応えなくてもいい場所。
自分のペースで息ができる場所。
そこに辿り着いた劣等生は、強い。
もう、奪われるものがないからだ。
もう、見下されることを恐れないからだ。
劣っていることは、人生の敗北ではない。
それは、
別のルートを進んでいるだけなのだ。
そしてそのルートの先には、
優等生が決して味わえない、
静かで、確かな優越感が待っている。
「自分は、自分として生きていい」
そう思えた瞬間、劣等生は、誰よりも自由になる。
――劣等生の優越感とは、
遅れて辿り着いた者だけが知る、人生の裏側なのだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
では、また次のブログでお会いしましょう(^^)ノシ



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