シークレットイレ
- 1月5日
- 読了時間: 3分
世界一長いトイレがあるーーーー。
そのトイレの噂を、最初は冗談だと思った。
そんな話、信じるほうがどうかしている。
けれど、実際にその前に立ったとき、笑いは喉の奥で止まった。
古いコンクリートの建物。
くすんだ白い扉。
見た目は、どこにでもある公共トイレだ。
ただ一つ違うのは、扉に貼られた注意書きだった。
――
このトイレは、入口から便座まで約1000メートルあります。
時間に余裕のある方のみ、ご利用ください。
――
冗談だろう、と思いながらもなぜか引き返せなかった。
取っ手を引くと、軋んだ音とともに扉が開く。
中は、想像以上に静かだった。
一歩、足を踏み入れる。
ひんやりとした空気。
コツ、コツ、と自分の靴音だけが響く。
蛍光灯が等間隔に並び、白い廊下が真っ直ぐ伸びている。
――長い。
思わず笑いそうになるほど、長い。
最初は半信半疑で歩いていた。
「どうせネタだろう」
「話題作りでせいぜい100メートルまでだろう」と。
しかし150、200、250メートル・・・
冗談にしてはすでに長い距離を歩いている。
そして、300メートルを過ぎたあたりで、
ふと、足取りが重くなる。
音が変わる。
空気が変わる。
自分の呼吸が、やけに耳につく。
500メートル地点。
引き返そうか、という考えが頭をよぎる。
だが、振り返ると、入口はすでに姿を隠していた。
――こんなに歩いたんだ。
600、700メートル。
歩きながら、なぜか関係のない記憶が浮かんでくる。
言えなかった言葉。
あのとき選ばなかった道。
「本当はこうしたかった」と飲み込んだ思い。
誰にも聞かれていないのに、胸の奥がざわつく。
800メートルを過ぎたころには、急ぐ気持ちは消えていた。
代わりに、
「ここまで来たなら、最後まで行こう」
そんな静かな覚悟が芽生える。
そして――
ようやく、便座が見えた。
拍子抜けするほど、普通のトイレだった。
清潔で、無機質で、特別な仕掛けもない。
用を足し、立ち上がると、
壁の端に小さな文字が刻まれているのに気づく。
『ここまで来られたあなたは、もう“戻る理由”より“進む理由”を持っています。』
その瞬間、胸の奥がすっと軽くなる。
出口は、来た道とは違う方向にあった。
扉を開けると、外の光がまぶしい。
空気は同じはずなのに、なぜか少しだけ、深く吸える。
世界は何も変わっていない。
けれど、自分の中で何かが確かに整った。
――このトイレが「世界一長く作られている」理由を、そのとき初めて理解した。
ここは、
逃げるための場所ではなく、前に進む覚悟を整える場所なのだ。
そして今日もまた、
誰かが静かに扉を開ける。
人生の途中で、
少しだけ立ち止まりたくなった、誰かが。
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では、また次のブログでお会いしましょう(^^)ノシ



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