シークレットイレ
世界一長いトイレがあるーーーー。
そのトイレの噂を、最初は冗談だと思った。
そんな話、信じるほうがどうかしている。
けれど、実際にその前に立ったとき、笑いは喉の奥で止まった。
古いコンクリートの建物。
くすんだ白い扉。
見た目は、どこにでもある公共トイレだ。
ただ一つ違うのは、扉に貼られた注意書きだった。
――
このトイレは、入口から便座まで約1000メートルあります。
時間に余裕のある方のみ、ご利用ください。
――
冗談だろう、と思いながらもなぜか引き返せなかった。
取っ手を引くと、軋んだ音とともに扉が開く。
中は、想像以上に静かだった。
一歩、足を踏み入れる。
ひんやりとした空気。
コツ、コツ、と自分の靴音だけが響く。
蛍光灯が等間隔に並び、白い廊下が真っ直ぐ伸びている。
――長い。
思わず笑いそうになるほど、長い。
最初は半信半疑で歩いていた。
「どうせネタだろう」
「話題作りでせいぜい100メートルまでだろう」と。
しかし150、200、250メートル・・・
冗談にしてはすでに長い距離を歩いている。
そして、300メートルを過ぎたあたりで、
ふと、足取りが重くなる。
音が変わる。
空気が変わる。
自分の呼吸が、やけに耳につく。
500メートル地点。
引き返そうか、という考えが頭をよぎる。
だが、振り返ると、入口はすでに姿を隠していた。
――こんなに歩いたんだ。
600、700メートル。
歩きながら、なぜか関係のない記憶が浮かんでくる。
言えなかった言葉。
あのとき選ばなかった道。
「本当はこうしたかった」と飲み込んだ思い。
誰にも聞かれていないのに、胸の奥がざわつく。
800メートルを過ぎたころには、急ぐ気持ちは消えていた。
代わりに、
「ここまで来たなら、最後まで行こう」
そんな静かな覚悟が芽生える。
そして――
ようやく、便座が見えた。
拍子抜けするほど、普通のトイレだった。
清潔で、無機質で、特別な仕掛けもない。
用を足し、立ち上がると、
壁の端に小さな文字が刻まれているのに気づく。
『ここまで来られたあなたは、もう“戻る理由”より“進む理由”を持っています。』
その瞬間、胸の奥がすっと軽くなる。
出口は、来た道とは違う方向にあった。
扉を開けると、外の光がまぶしい。
空気は同じはずなのに、なぜか少しだけ、深く吸える。
世界は何も変わっていない。
けれど、自分の中で何かが確かに整った。
――このトイレが「世界一長く作られている」理由を、そのとき初めて理解した。
ここは、
逃げるための場所ではなく、前に進む覚悟を整える場所なのだ。
そして今日もまた、
誰かが静かに扉を開ける。
人生の途中で、
少しだけ立ち止まりたくなった、誰かが。
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では、また次のブログでお会いしましょう(^^)ノシ



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