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鬼ごっことかくれんぼ

  • 2月16日
  • 読了時間: 2分

夕方の公園には、いつも決まった時間になると影が長く伸びる。

ブランコの鎖はきしみ、砂場は誰も触れないまま、昼の熱をまだ抱えている。


子どものころ、僕らはそこで鬼ごっことかくれんぼをした。

ルールは曖昧で、開始の合図も適当だったけれど、走る理由と隠れる理由だけは、はっきりしていた。


鬼ごっこは、捕まえられたくなくて必死に逃げる遊びだ。

息が切れても、足がもつれても、後ろから迫る足音が怖くて、ただ前へ前へと走る。

あのときの僕らは、「追われること」が負けだと思っていた。


一方、かくれんぼは違う。

息を潜め、物陰に身を縮め、見つからないようにじっと待つ。

物音ひとつ立てないように、心臓の音さえ邪魔に感じながら。

それでも不思議と、怖さよりも、誰かが探してくれている安心感のほうが勝っていた。


――今思えば、あれは人生の予行演習だったのかもしれない。


大人になった僕らは、いつの間にかずっと鬼ごっこをしている。

仕事に追われ、評価に追われ、時間に追われる。

立ち止まれば置いていかれる気がして、逃げることをやめられない。

誰が鬼なのかも分からないまま、ただ走り続けている。


でも、時々思う。

最後に「かくれんぼ」をしたのは、いつだっただろう、と。


本当は疲れているのに、

本当は少し休みたいのに、

見つかるのが怖くて、弱さを隠す場所すら忘れてしまった。


かくれんぼは、「逃げる遊び」ではない。

「見つけてもらう遊び」だ。

どこに隠れても、誰かが必ず探しに来てくれるという前提があるからこそ、成り立つ。


鬼ごっこばかり続けていると、人は孤独になる。

かくれんぼを思い出すと、人は少し人に戻れる。


人生は、ずっと鬼でいる必要も、ずっと逃げ続ける必要もない。

たまには立ち止まり、身を隠し、

「ここにいるよ」と心の中で小さく手を振ってもいい。


見つかるかどうかは分からない。

それでも、隠れる勇気を持てたなら、

きっと誰かの足音が、静かに近づいてくる。


夕暮れの公園で、影がひとつ消え、またひとつ現れる。

鬼ごっことかくれんぼは、今も続いている。

形を変えながら、僕らの人生の中で。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

では、また次のブログでお会いしましょう(^^)ノシ

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