鬼ごっことかくれんぼ
夕方の公園には、いつも決まった時間になると影が長く伸びる。
ブランコの鎖はきしみ、砂場は誰も触れないまま、昼の熱をまだ抱えている。
子どものころ、僕らはそこで鬼ごっことかくれんぼをした。
ルールは曖昧で、開始の合図も適当だったけれど、走る理由と隠れる理由だけは、はっきりしていた。
鬼ごっこは、捕まえられたくなくて必死に逃げる遊びだ。
息が切れても、足がもつれても、後ろから迫る足音が怖くて、ただ前へ前へと走る。
あのときの僕らは、「追われること」が負けだと思っていた。
一方、かくれんぼは違う。
息を潜め、物陰に身を縮め、見つからないようにじっと待つ。
物音ひとつ立てないように、心臓の音さえ邪魔に感じながら。
それでも不思議と、怖さよりも、誰かが探してくれている安心感のほうが勝っていた。
――今思えば、あれは人生の予行演習だったのかもしれない。
大人になった僕らは、いつの間にかずっと鬼ごっこをしている。
仕事に追われ、評価に追われ、時間に追われる。
立ち止まれば置いていかれる気がして、逃げることをやめられない。
誰が鬼なのかも分からないまま、ただ走り続けている。
でも、時々思う。
最後に「かくれんぼ」をしたのは、いつだっただろう、と。
本当は疲れているのに、
本当は少し休みたいのに、
見つかるのが怖くて、弱さを隠す場所すら忘れてしまった。
かくれんぼは、「逃げる遊び」ではない。
「見つけてもらう遊び」だ。
どこに隠れても、誰かが必ず探しに来てくれるという前提があるからこそ、成り立つ。
鬼ごっこばかり続けていると、人は孤独になる。
かくれんぼを思い出すと、人は少し人に戻れる。
人生は、ずっと鬼でいる必要も、ずっと逃げ続ける必要もない。
たまには立ち止まり、身を隠し、
「ここにいるよ」と心の中で小さく手を振ってもいい。
見つかるかどうかは分からない。
それでも、隠れる勇気を持てたなら、
きっと誰かの足音が、静かに近づいてくる。
夕暮れの公園で、影がひとつ消え、またひとつ現れる。
鬼ごっことかくれんぼは、今も続いている。
形を変えながら、僕らの人生の中で。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
では、また次のブログでお会いしましょう(^^)ノシ
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